思いを受けとめるということ
- 2012年11月16日
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大人になってからの行動は、子供のころの育った環境、育てられ方に大きな影響を受けるそうです。
ある勉強会で聞いた話です。
小学1年生の時に経済的な事情で習い事をやめなければならなくなったA子さんが6年生なった時にお母さんに「私はずっと続けて習っていたかったのよ」と話すことがありました。
お母さんは「あらそうだったの。じゃあ来週から習っていいよ」と答えましたが、その答えを聞いたA子さんは翌日から学校に行かなくなり引きこもってしまったそうです。
なぜA子さんは引きこもってしまったかわかりますか?と講師の先生から聞かれました。
皆さんはどう思われますか。
私は、来週から言っていいならもっと早く行きたいことを話しておけばよかったとの思いでがっかりして気持ちが塞いだから休んでしまったのかと考えました。
講師の先生は、こう言われました。
A子さんは、習い事に行きたかったからその話をおかあさんにしたのではなかったのです。
小学校1年生の時の、行きたかったけれど我慢した気持ちをわかってもらいたかったのです。
思いを受けとめるということは難しいものです。
A子さんが「わたしはずっと・・・」と切り出した時の表情、声の調子、その言葉を発する前の状況をきちんと見ることができていれば、きっと言葉の奥にある気持ち、思いに沿った答えができていたのではないかなと感じました。
言葉をかけてきた人にきちんと体も心も向いているか、ということなのかな?と思いました。
翻って我が子が、「ねえ、おかあさん・・」と声をかけてきた時に「なぁに?」と子供の目を見ながら答えているかな?と自問しました。
皆さんはいかがでしょうか。(N・H)